着がえを済ませ、ソファで私は考え事をしていた。「おかしい……。何かがおかしいわ……」何がおかしいと聞かれてもうまく答えられない。けれども、私の傍には常に誰かがいたような気がする。その誰かとは……一緒にいても、決して心が安らぐことが無く、近くにいれば苛立ちが募る。そんな人物だ。けれどもその反面、私はその誰かに頼り切っていた気がする……。「う~思い出せないって、こんなに苛立つものなのね……」クッションを抱えながら呟いたその時。「ユリア、入ってもいいか?」ノックの音と共に、父の声が聞こえた。「はい、どうぞ」すると扉が開かれ、父が部屋の中へ入って来た。「何だ……? 起きていたのか? もう身体は大丈夫なのか?」父が尋ねる。…相変わらず、まるで他人にしか思えない父。私は立ち上がると挨拶した。「お父様、ご心配おかけいたしまして申し訳ございませんでした」そして頭を下げる。「いや……心配したのは確かだが……まぁ、座って話をしよう」父が向かい側のソファに座ったので、私も再び着席した。「しかし、それにしてもよく無事だったな。もう一歩馬車が止るのが遅ければ、危うく崖下へ転落するところだったそうじゃないか」「え、ええ……そのようですね」しかし、その辺りの事情は何一つ記憶にないので私には何とも答えようが無かった。「……」父は私を暫く無言で見つめていたが……やがて状況を説明し始めた。「馬車には細工がしてあったそうだ。車輪は外れやすく、扉は開きやすく加工されていたらしい。それに肝心の御者の姿はまだ見つかっていないが、人相書きを見た処、この屋敷の御者では無かった。今行方を追っているが……見つけられない可能性がある」「そうですか……」やっぱり私は命を狙われていたのか。「すまなかった」突然父が頭を下げた。「え? お……父様?」「お前が命を狙われているので護衛騎士を付けて欲しいと言ってきたとき、ちゃんと信じて護衛を付けてやればよかったと反省している。またいつものように我々の関心を買う為の戯言だろうと決めつけてかかっていたのだ。あの時、お前を信じてやれば……そうしたらお前は馬車の事故に遭うことも無かったと言うのに……本当にすまなかった」え……? 父は一体何を言っているのだろう?「何をおっしゃっているのですか? お父様は私の為に護衛騎士をつけて下さっ
私は夢を見ていた……。 夢の中の私は薄暗い森の中をカンテラを持って、何処までも歩いていた。前方には道案内の小さな光が飛んでいる。その光の後を私は必死になって、ついて歩いていた。森の木々がざわめき、時折不気味な鳥の鳴き声が聞こえてくる。今にも恐ろしい獣でも飛び出してきそうで恐ろしかったが、身を護る祈りが込められた護符を持っているからきっと大丈夫なはずだ。恐怖に震えながらも、歩みを進め……目の前が開けたと思うと、小屋が現れた。そして小さな光は小屋の中に吸い込まれていく。「やっと……ここまで辿り着いたわ」小屋に近づき、目の前の扉を緊張の面持ちでノックした。――コンコンすると軋む音と共に扉がひとりでに開いた。ゴクリと息を呑むと扉をくぐり、小屋の中へ足を踏み入れた――*****「……」突然私は目が覚めた。目を開けた途端に眼前には黄金色に輝く天井が飛び込んでくる。「……相変わらず趣味の悪い天井ね……。もう絶対に部屋を変えて貰うんだから……」ゆっくり身体を起こし、ふと考えた。「あれ……私、どうして私ベッドで眠っていたのかしら? 確か学校に行って、その後……」どうもその後の記憶があやふやだ。ただ、夢を見ていたことだけは覚えている。私はどこか森の中を歩いていて……。「ところで今、何時かしら?」太陽の光が部屋の中に差し込んでいる。しかも青い空まで見えるということは少なくとも夕方でないのは確かだ。「時計、時計……」部屋の中をグルリと見渡し、壁に掛けられた時計が目に止まった。時刻は10時を少し過ぎたところだった。「10時10分……ということは朝ね」見た所、私が着ているのはネグリジェのように見える。「起きましょう、まずは着替えね……」そしてベッドから身体を起こした時。――ガチャッ「え?」「ま、まぁ……お嬢様……」扉を開けて部屋の中へ入ってきたのはメイド長だった。手には大きな洗濯かごを持っている。彼女は私を見ると目を見開いた。ドサッ!メイド長は手にしていたかごを床の上に落とし、洗濯物が散乱する。「ユリアお嬢様! 目が覚めたのですね!?」メイド長は私の側に駆け寄ると、いきなり両手を握りしめてきた。「え、ええ……おはよう……でいいかしら? 随分遅い時間まで寝てしまったようだけど……」すっかり朝寝坊をしてしまった。するとメイド長が
「随分親し気に話しているようにも見えますね……。ここからだと遠すぎて何を話しているのか会話の内容を聞くことが出来ません。非常に残念です。あ! テレシアさんがジョンさんに何か手紙の様な物を押し付けてきましたよ。どうするんでしょう……? まぁ! 手紙を受け取りましたよ! しかもその場で開封して中身を見ています。……随分真剣に読んでいますね。それにしても本人の目の前でラブレターを読むなんてジョンさんも凄いですね。尤もテレシアさんもある意味凄いですけど。何しろご自分の書いたラブレターを目の前で読まれてしまっているのですから」ノリーンが感想と実況を交えながら興奮した様子で語っている。けれど……。「本当に……あれはラブレターなのかしら…?」思わずポツリと呟く私にノリーンが不思議そうな顔で私を見る。「ユリア様……?」「いいえ、恐らくあれはラブレターなんかじゃないわ。だってあのジョンが素直に受け取る筈ないもの。恐らく恋文のような物を渡された段階で、鼻で笑って炎の魔法でその場で燃やしかねないわ……いいえ、彼なら絶対にやるに決まっているわ!」「ど、どうしたんですか? ユリア様?」ノリーンが声をかけてきた時…。クルリとジョンがこちらを振り向いた。まさか見つかった!?「隠れて、ノリーン!!」言うや否や、私はノリーンの頭を掴んでグイッと下げさせた。「いい? ノリーン。このまま背をかがめた状態で窓の下に身体が隠れて外から見えないように教室まで歩くのよ」「ええ!? な、何故そんな恰好で歩かなければいけないのですか?」「ジョンに見つからない為よ!」背中を丸めながら歩く私とノリーン。「で、でも何故ジョンさんに見つかってはいけないのですか?」「……分らないわ」「は?」「理由は分らないけど……私の勘が言ってるのよ。今、絶対にジョンに見つかってはいけないって」「は、はぁ……」そして私とノリーンは周囲の冷たい視線と嘲笑を浴びながら教室へと戻った――**** ガラガラガラガラ……走る馬車の中、私は本を呼んでいるジョンの様子をチラチラと伺っていた。「……何ですか? ユリアお嬢様。先程から私の顔をチラチラと見て」まただ、学園を出るとガラッと態度が変わるジョン。「……ねぇ、ジョン……」「何ですか?」「私に何か言うことはないかしら?」「言うこと……あります
午後の授業は『家政学』という授業だった。この授業では貴族令嬢の嗜みとしてのレース編の化粧ポーチを作るというものだったのだが……。フフ……レース編みって楽しいわね。レース糸と編み針を手にした瞬間に懐かしい気持ちが込み上げ、私は迷うこと無くスイスイ編み始めた。他の女子学生たちの中には苦心している人もいたようだが、私はそんなことにも見向きもせずに一心不乱に編み続けていると、不意に脇から驚きの声が上がった。「まぁ! アルフォンスさん! あれ程下手……い、いえ。苦手だったはずのレース編みをいつの間にそんなに上手に編めるようになったのですか!?」「え?」そうだったの? 知らなかった……と言うか、記憶喪失中の私にはそんな記憶すら残ってない。けれども、何故かレース糸と編み針を手にした途端、懐かしい気持ちが込み上げて指が勝手に動き出したのだ。「本当だわ! どうしたのですか?」「なんて美しい網目なの……」「私の分も編んで貰いたいわ」誰もが称賛の声を上げる。「い、いえ。そ、それほどでも……」先生が驚いて目を見張る。他の女子学生たちも興味深げに見つめている。そして気づけば、その日の授業は私が講師になっていた――****キーンコーンカーンコーン……午後の授業が終わり、私は同じ班でレース編みをしたノリーンと一緒に教室に向かっていた。ノリーンは私と同様に魔法を使えないし、互いに親しい友人がいないという共通点もあって、何となく気が合うようになっていた。「それにしても、アルフォンス様……」ノリーンが話しかけてきた。「アルフォンスじゃなくてユリアって呼んでいいわよ。 私だって貴女のことを名前で呼んでいるのだから」出来れば彼女とは仲良くなりたい。「それじゃ、ユリア様。何だかたった数日で本当に別人になってしまったようですね?」ノリーンが言う。そうだ……ジョンの言葉はいまいち信用できないけれども、ノリーンの方がずっとジョンよりも信頼出来そうだ。そこで私は思い切って尋ねることにした。「あの……ね……貴女にだから話すけど……私、実は記憶喪失になってしまったのよ」「え!? 何ですか、その話は!」「ええ。私が学園を休んだ日があったでしょう?」「はい、ありましたね」「あの前日に池に落ちてしまって、気を失ってしまったのよ。そして目が覚めたら綺麗サッパリ記憶を失って
「ねぇ! 待ってよ、ジョン!」ズンズン歩いていくジョンを追いかけて声をかけると、彼は立ち止まって振り向いた。「来たか、ユリア」「来たか、じゃないわよ。ねぇ、さっきのベルナルド王子の話だけど、あの噂を広めたのはジョンじゃないの?」教室目指して2人で歩き始めると、ジョンは頷く。「ああ、そうだ。俺が周囲に言いふらしたのだ。お陰であっという間に噂が広がってくれた。それにしてもユリアのくせに俺が噂の出どころだと良く見抜いたな? 最近大分勘が良くなってきたんじゃないのか? 褒めてやるぞ」そう言って振り向くと頭を撫でてくる。しかし、そんなことを褒められても少しも嬉しくないし、なんだか馬鹿にされているようにも思える。悪びれることもなく、堂々としているジョンに危うく切れそうになってしまった。「はぁ〜? ちょっと酷いんじゃないの? 何故そんな噂を言いふらすのよ!」再び歩き始める私達。「決まっているだろう? ベルナルド王子のお前に対する好感度を下げるためだ」「え? 何故!?」ま、まさか……ジョンは私のことをす、好きだから…?すると前方を歩いていたジョンが振り返った。「おい、何だ? その目つきは……言っておくがお前のことを好きだからとか言う考えなら大間違いだからな? 俺にだって選ぶ権利くらいある」とことん失礼な言い方をする男だ。けれどジョンの言葉を一々真に受けていては身が持たない。「それなら何故ベルナルド王子の好感度を下げる必要があったの?」「分からないのか? ユリアが王子のことを迷惑に思っていたからだろう? 不思議なことに今のベルナルド王子はユリアのことを意識している。このまま放置しておけば、今に婚約式を上げ、そのまま結婚式へとなだれ込む可能性もある。そんなのは迷惑極まりないだろう?」大真面目に言うジョン。「アハハハ……何言ってるのよ。そんなはずないでしょう? あのベルナルド王子が私のことを意識しているだなんて」「何だ? 真に受けていたのか? 冗談に決まっているだろう?」「はぁ!? あ、あのねぇ!」「とにかく! 昨日、王子がどんな意図でユリアを尋ねてきたのかは知らないが興味を抱いて来ているのは確かなのだ。付きまとわれるのは嫌だろう?」「ええ……まぁ確かに付きまとわれるのは嫌だけど……でも、王子はあの出鱈目な噂を流したのは私ではないかと疑ってい
「それで? 一体俺のせいでどんな不名誉な噂を立てられているですって?」ジョンはベルナルド王子の方を見ようともせずに、ビーフシチューを口にした。「お、お前……空腹の人間の前でよくも図々しく食事が出来るな……」ベルナルド王子は殺気がこもった目でジョンを睨みつけている。……やはり食べ物の恨みというのは恐ろしい。私は慌てて手にしていたスプーンを離した。「どうした? もう食べるのをやめるのか?」そんな私を見て不思議そうに尋ねるジョン。「いいえ。そうではないわ。ただ、お腹をすかせて食事が届けられるのを待っているベルナルド王子の前で美味しそうに食事を摂るのはあまりにも失礼では無いかしらと思って、やめることにしたのよ」「ユリア……お前……」王子が感心? したような目で私を見る。「そうか? 別に気にすることはないだろう? どうせベルナルド王子の腰巾着達が食事を運んでくるだろうから」何と、ジョンは私が心のなかで思っていた『腰巾着』という単語をベルナルド王子の前で使ってしまった!その時――「誰が腰巾着だって?」いつに間に料理を運んできたのか、そこにはAランチが乗ったトレーを手にした3人の腰巾着達が立っていた。「言っておくが、俺達だって好きで仕えているわけじゃない!」「ああ、そうだ。親の命令だから仕方なく仕えているのだ」マテオ以下、2名の腰巾着達が口々にジョンに文句を言う。「何!? お前たち……俺に人望があるから仕えているのでは無かったのか!?」驚くベルナルド王子。「はぁ? ふざけないでいただきたい。そんなはず無いでしょう?」銀の髪の青年がふてくされる。「ほら、冷めないようにさっさと食べてくださいよ」青い髪の青年が王子の前にAランチが乗ったトレーをガチャンと乱暴に置いた。危うくシチューが飛び散って制服につきそうになる。私はセーフだったが、ベルナルド王子の制服の袖口にはシチューが飛び散る。「おい! 乱暴に置くな! シチューが飛び散っただろう!?」ペーパーナフキンでシチューの汚れを取りながら当然のように文句を言うベルナルド王子。「文句を言うなら、初めから俺達に頼まなければいいでしょう?」マテオが仏頂面で着席した。「何だと!?」眉間にシワが寄るベルナルド王子。……どれだけベルナルド王子は嫌われているのだろう。ふと、向かい側に座るジョンを